SURRENDER

~幻想から本当の自分に持ちかえて形にする~

GOOD WILL HUNTING

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久しぶりにブログ書きます。
PCは薄っすらホコリかぶってました。アハハ…

 

この間に、心境の変化、自分自身の変容とあったんですが、まずそれは置いといて、
何を書いたらいいのかということに極度に気をとられていた制限が外れたので、これが書けるようになったという、簡単に言えばそういうことがありました。


必要とされていることを書かなければならない、有益なことを書かないといけない、それは間違いであってはいけない、自己満足であってはいけない…

 

書かなくても誰も困りなんかしないんですけどね^^

それでも私の葛藤は続きます笑

 

けれど、自分が何を誰にどう伝えたいのかということは曖昧でした。
むしろ曖昧であってはいけないと、自分の筆をさらに重くしてました。

手帳に中途半端に終わる文章…
それがだんだんと短くなってページだけめくっていく始末…
将来に焦りながら自分を責める気持ちから手帳も手に取らなくなってく…


それがここ1ヶ月近く、悩んだり緊張を緩めたりをくりかえしながら、ブログやさまざまなことから離れて、そもそもの自分がやりたかったことを明確にするために耳を澄ましてすごしていました。
たまにはこういうことも良いですよね?

 

そうしたら、自分が勘違いしていたこと、勘違いさせられていたこと、ボロボロ外れていきました。


そして、しなくちゃいけないことじゃなくて、したいことが原石で見えてきました。


そうすると、これまでは、そのままの自分の望みを認めること、もしかして見つめることすら自分に許したことはなかったんじゃないかというほどに感じました。

自分の好きなことを、初めて知ったかのような感覚がしたからです。

 
この思い込みは人によってさまざまだと思いますが、

私の場合、それを見つめることは、

奪われたり傷つけられたりする脅威を感じることだと思ってました。
自分の得意を肩書きとして持つことは、自由ではなく拘束されて監視される人生になることだとも思っていました。

成功することに対する恐れもありました。

成功するということは、今までの生活が変わるということ=あるべきだった平和で穏やかな幸せには二度と戻れないということだとも。

(これは掘って掘って究極に思い込んでいたところの声で、普段からこう感じているわけではありません。)

 

自分のことを知られたくない、自分のことなんて聞きたい人なんていない、話したくないとも思っていました。これではブログが書けるはずありませんよね。

 

 

もちろん思い込みだとは分かっていました。でも、それを外すことができないまま、その思い込みに反発するような生き方、または思い込みの通り土壺にはまったそのままでしか生きられなかったんです。


自分の性質や特徴、本質の自分らしさや価値の全てを、直さなければならない厄介事と感じていて、排除したかったんですね。

 

でもそんなことしたら、自分らしさどころか価値ある部分を失ってしまうことになる。

 

何をやってみても、やっぱりイヤ!って感じちゃうなら、なぜ嫌っちゃうかの理由を見るしかないですよね。自分のことではなくて本当はこれがイヤなんですから。

 

でもイヤですから見れないです、進まないし、いつまでも自分を認められないです。
前回のブログから更新が止まってしまっていたのは、ここを行ったり来たりしていたからでした。

 

そこで思い込みを外していきます。それができなきゃ自分を好きになれないです。

(実際にどういう変化があったかは後日に。)

イヤで見つめることもできないし、好きなことを自由に発揮して生きることを認めることもできないです。

思い込みを抱えたまま頑張っていても、良い結果を手にすることができなかったり、望んでるものとは違うものが来てしまったり、私みたいに形にすることができません。

だってイヤなんだもん!が影響してしまうんですね。

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そうして思い込みがだんだん外れてきたら、自分がしたいことの原石が見やすくなってきます。

だんだんなんですけど、それでも自分で感じられるくらいの明らかな変化を積んでいく感じでした。

 

それは当然、自分にとっては前から当たり前に好きなことだったり関心があったり得意なことだったりします。だからむしろ気づけないってこともあるくらいに当たり前なんですね。自分のことを好きになれないとなると、これに価値があるだなんて思えず見過ごしちゃいます。

 

私の場合、これは、ものすごい納得具合で、

バチ~ン!と、これだ!とハートに入ってきました。

 

立派とか個性的とかそんなんじゃないんです。ただ矛盾がなくて、すべての癖とか習慣とかが線で繋がる自分の原石が、コロンと目の前に転がってきた感じでした。

あ、私はこれが好きなのね。と。

実は、純粋にこれだけに生きてきたんだなと納得しました。


振り返ると、思い込みの巨大迷路の中からそれを発揮するのは、かなりムリがありました。

ふつうにムリですw

 

 

その思い込みが外れてできるようになったこと。
このブログの場合は、「何も考えずにそのまま書こう」でした。

 

有益じゃなくちゃいけなくて、曖昧ではいけなくて、自分を知られたくなくて話したくなかったのに、

何も考えずに書こう。になっていました。

そしてこの体験を書くことは私にとってSurrenderです。

 

 

昨日、久しぶりに映画「グッド・ウィル・ハンティング」を観ました。

主人公のウィルは、正直に自分の内を見せることを避けて、生意気で周りに噛み付いたり、逃げ回ったり怯えたり、傷つくのを避けて人を遠ざけたり見下したりしています。

後に自分の才能や本心に心開いて、自分の選択に生きはじめますが、なぜ心を閉ざすしかできないかという『思い込み』に触れて、それを崩せたから、彼は心を開けて自分の選択ができたのだと思います。

ウィルは、小さい頃の経験から心を閉ざしていましたが、心開けないことに悩んですらいませんでした。

でもその奥では、自分を責めていたり嫌っていた。それが『思い込み』です。

数学の天才でしたが、それに価値を認められません。けれど教授との信頼関係から、自分を責めて嫌っていた思い込みを解放することができます。
マット・デイモンの ”I'm sorry” のセリフに全てが含まれていて泣けますTT

そして友人に背中を押されて、自分の本当に望んでいることに踏み出す勇気を出し、車を走らせる…というラストです🚗

これを観てから、私はマット・デイモンベン・アフレックに憧れてます。彼らは学生時代の脚本から自作自演でオスカー受賞してるんですよ♡

 

これを見ていて、ちょっと自分に似ているなと感じました。

自分のこと話したくないし、本当に何がしたいのか宣言できないし、勇気出して踏み出せていないし、自分のことイヤだし…

でも今は、自分の中でも思い込みが崩れてきていたし、本当にしたいことが湧いてきている段階で、思い込みが外れた向こう側というものに共感して観れた気がしました。

 

これまでグッド・ウィル・ハンティングを観てきて初めての、リアルな共感。

ちょっと怖いけど、踏み出せそうという感覚。

 


時間かかるかもしれないけれど、この思い込みを外すための挑戦には、誰でも胸を張っても良いと思います。

もちろん、自分の好きなことを発揮させる道を模索しながら成功していないと、周りからは非難されたりするかもしれません。私も実際にそうでした。

でも、この思い込みを外さないと自分の原石も見つけられないし認められないし、何も始めることすらできなかったから、この挑戦には早いも遅いもないことだと思います。

 

 

私のしたいことの原石としてみつけたのは、

映画が好きということ。
そして、自分で美しいと感じたものをそのまま捉えて表現することでした。

当たり前にしてきたことだけど気づいてませんでした。

 

だから、自分が見る世界というのをそのまま信頼していいし、

何も気にせずに表現していい、

それこそが自分の豊かさや価値を認めることであるし、

そのまま世の中の豊かさにつながるとまで感じられました。

 

何の立派な理由も計画もないけど、ただ矛盾なく自分でいられる状態が見えました。

理由もなく自分が居ても良いと気づけるなんて、初めてのことで信じられないし怖いです。

まだ完全にそれに委ねきれてないんですが、こうやってブログを書くことを再開することができて、ちょっとずつだけれど変わってこれてるのを感じてます。