SURRENDER

~幻想から本当の自分に持ちかえて形にする~

Purpose

f:id:engelina:20171004083520j:image

 

「好かれよう」として自分を否定してきたことってありますか?


私は自分の大部分がこの「好かれよう」で固められていたということに、最近気づきました。


自分の好きじゃないことに一生懸命になって、自分の得意なことを隠したり、本当は関心があったり能力があることを否定してきたこと。

これを自分でも気づかずに生きてきていました。


自分で自分を否定してきていたなんて夢にも思わなかったことだったので、気づいた瞬間は、落胆したような、安心したような、どこか張りつめた糸が切れたような感じがしました。

そして、これまでは私にとって何だったのかとすら思いました。正解とか、幸せとか選んで生きてきたと思っていたから。


この「好かれよう」は純粋な願いではなくて、「好かれない恐怖」になっていました。
振り返ってみると、その恐れで、周囲から歓迎されない自分の一面を隠そうとしたり、輪の中に入りたがったけど本当は関心があるわけではないグループに、好かれようと一生懸命になって来たのだと分かったんです。

 

その始まりは、子供の頃にさかのぼるものでした。
自分でも気づけなかったのは悔しいことでもあるし、仕方のないことでもあるけれど、
残念ながら、「好かれよう」が自分の目的になっているうちは、好きじゃないことを求め、自分の否定してしまうのです。

 

でも好きだと思っていたものが実は関心がなかったこと。
否定していたことが自分の得意なこと。
好かれようとしていたのは、自分とは反対のことだったこと。
それに気づきました。

でも、自分らしくあろうとすればするほど一人ぼっちになっていく気がしてしまったり、
褒められたり頼られたりすればするほど、どこか空しくなったり一人になりたがったり、
頑張れば頑張るほど、自分に自信がない不安が大きくなっていって飛び込めなくなったり、
幸せを前にすると怖くなったり邪魔が入ったり。


こんな方程式が肝心なときに出てきてしまう。これってちゃんと解決しておかないと、いつまでもくり返してしまうって自分のどこかで分かっていることだったような気がします。

みなさんにもこういう不思議と屈折してしまうことってありませんか?
実は自分が設定してしまっていた、古い前の目的が作用しているんです。


私は、そこに好かれる必要なんてなかった。

ただ当時は、好かれないといけないという焦りがあったから、求めていただけだったので、勇気を出して手放すことにする。Surrender

そう認めることは、それなりに辛かったです。
思い込みであったとしても、帰属する場所としての安心を手放すことになるし、好きだと思い込んでいたものを好きじゃなかったって認めるのって苦しいじゃないですか?

でも自分を否定していたことに気づいたら、やっぱりどっちを選ぶかは決まっていました。自分の味方になることでしか幸せにはなれません。そして、目的を書きかえる必要があります。

 

自分の目的が「好かれるために」じゃなくなった場合、本当に自分が望むことは何なのか。
これをまっさらな状態から感じなおさなきゃいけなくなりました。
私には慣れていないことを始めなければならないけれど、でもこれしかありません。

今はこれに向き合っています。


自分の目的、ちゃんと自分の味方になって掲げてあげてますか?
今の目的は本当に望みたいことですか?それとも幸せの邪魔をしてしまっているでしょうか?
自分の目的を望んだものに書き変えたら、自分の人生にどんなことが起こるのか。幸せに限界なんてないはずだと思うんです。