SURRENDER

~幻想から本当の自分に持ちかえて形にする~

結果を連れてくるものを無視してたのかも

https://www.instagram.com/p/Bl-j75qlFYn/

終わりが分からなきゃ始められない、始めたくない。そう生きてきた。

 

ハッピーエンドじゃないと見る気もしない映画。

終わりが怖くて始めることができない人生。

寂しくなるのが怖くて受け入れられない人。

結果が怖くて好きな気持ちを育てられない恋愛。

自分に失望したくなくて信じてあげられない。

 

ときどき自分がバカに思える時がある。

 

相手が受け入れてくれなきゃ告白もしない。

合格しないなら挑戦もしない。

叶わないなら夢も見ないし挑戦もしない。

 

でもこれって自分の正直な気持ちは無視してきたってこと?

あきらめたり逃げたって事は、その前に自分の気持ちがあるという事だったんだと気づかなかった。

だって気づいたら、叶わないことが怖くて生きていけないんじゃないかと思ってたから。

 

私は正直な気持ちが育つことを許してこなかったんだね…

始めることを許してこなかった。

 

なのに、自分は幸せになる資格があるのかないのか、

そればかりを気にして、幸せに生きる挑戦を始めてすらこなかった。

人生で怖がることしかしてないんじゃないか。

結果が怖くて始めてなかったこと、それが結果を連れてこなかっただけなんじゃないかと思えてきた。

 

正直に飛び込んだ分、結果が叶わなかったら傷つくんだって怖かった。

傷つかない方法じゃなくて、傷ついても正直に気持ちを育てていく喜び方を覚えてくれば良かった。

 

でも怖がってる自分に気づくことからも逃げてたから、

少しは勇気出して生きはじめられたかなと思えたりする。

 

ハートが開いて、ますます怖いと感じる瞬間はあるけど、

自分の気持ちに正直に飛び込んであげることが始まりなら、ちゃんと始めてあげないとって気づけたから。

「今」が重要なワケ

変わらないものなんてない。この自分でさえも。

 

 

数年前に聴いた曲をまたふと耳にしたら、当時の自分がいた孤独感まで鮮明に蘇ってきた。

 

そこから書き始めた物語なのに、私はこの孤独感を忘れてしまっていた。

 

個人的には満たされて安心を得られてきた成長を遂げたけど、そうなると思い出せなくなる領域があることも目の当たりにした。

 

ここでどちらが良いか悪いかは言及せず、

今しか表現できないものがあるその重要性にハッとした。

 

私の場合、その孤独感の究極を書けたから、当時は自分自身も苦しかったけれど、光を求める切実さを描けたのだとも思うし、それが人の共感をより呼べるのだと思う。

 

移ろいでいく中で、いま何を捉えて描いていくのか紡いでいくのか。

 

それを大切にできてこそ、真に表現者として生きることなんだなと感じた。

 

たとえどこにいたとしても、どう生きていたとしても、

“今の自分”にできることは、無限だと分かったの。

 

POEM 硝子

韓国のバラエティー番組を見ていたら、日本の詩人の話がされていた。

日本人なら誰でも知っている詩人、金子みすゞ


日本にいるとリアルタイムでは見られないけれど、毎週楽しみにしているドキュメンタリーで、

韓国でも人気の番組で、私の友人たちも皆これが好きだと言っている。


とてもリラックスできる番組の中で、


彼女の詩集を出して読みはじめる。

 

硝子

思い出すのは雪の日に
落ちて砕けた窓硝子

あとで、あとでと思ってて
ひろわなかった窓がらす

びっこの犬をみるたびに…
もしやあの日の窓下を
とおりゃせぬかと思っては

忘れられない、雪の日の
雪にひかった窓がらす


유리         가네코 미스즈

생각나는 건 눈 오는 날
떨어져서 부서진 창유리

다음에, 다음에 하고 생각하다가
줍지 않은 창유리

절름발이 개를 볼 때마다
혹시나 그날 창 밑을
지나가지나 않았을까 생각하고는

잊을 수 없어, 눈오는 날
눈 속에 반짝이던 창유리


彼女の詩集は、正直、教科書に載っていたものしか覚えていない。

小学生の頃に興味があって図書室で読んだことはあるけれど、

子供心には理解できなくて分からなかった記憶がある。


そして私は傷つきやすい感性で生きていたからか、

こういう詩や文学は、寂しくて悲しくて怖いと思って近づきがたかった。


それを韓国でお気に入りの詩を紹介するまで親しんでいる人がいるということに

意外性と刺激を受けた気がした。


そして、どの言語で書かれていても、

その奥で湧いてきた、伝えたい感性や人の心というのは共通して響くものなんだなと、

言葉が伝えられる可能性について、新たな認識をもてた気もした。

 

この詩がお気に入りの彼女は、

「こういう考えをみんなするよね?

もしかして自分のせいで、自分がしなかったせいで、自分が躊躇したせいで、誰かが傷ついてないかって。」

と自分の感覚をシェアしていた。


そこまで自分の考えに落とし込んで親しんでいる場面に感心しながら、

いつのまにか私も自分の考えに浸っていた。

 

https://www.instagram.com/p/BiSE097FKdP/

#すずらん

 

硝子という詩が伝えているのは、

自分の視点から、客観的に周りにも視点が移って気づいた事実のこと。

 

私も今そんなタイミングに来ていたからの考え事。

 

自分がこれまでしてきた無意識にばら撒いていたガラス破片。

それは、それしか方法が分からなくてむやみに発したもの、

誰かがきっかけで耐えきれなくて受けたそのままの衝撃、

次々やってきた衝撃に立ち直る勇気がもてなくなったもろさ、

誰かのガラス破片を踏んでしまって痛み続ける足に未来まで悲しみに染めたり、

その痛みのせいで人を責める生き方をして、

自分の足元に広がるガラス破片にも気づかずに、さらなる破片を増やしていった。

そんな生き方を、私は子供のまましてきたんだなと振り返っていた。


傷ついていたのは私だけじゃなかった、周りをそのせいで傷つけていたのかもしれない、

自分のことしか見えていなかった過去。

どれだけの人に迷惑をかけたんだろう。

自分が苦しくて人ばかり責めていたし、ここにある幸せも見えなくなって、

幸せがどこにも見つけられなくて、もう無いものだと思って生きてきていた。

ただ自分が受け取れなかっただけかもと、これまでの人生を振り返ってみると、

どんな可能性を知らないうちに不意にしてきたんだろう、

どんな愛情や好意を無視してきたんだろう、

楽しい思い出を寂しさに染めてきてしまったんだろうか、

繋がれる関係性を孤独で打ち消してしまったんだろうか。


人が撒いたガラスの破片を踏んで刺さったままだったこともあるはず。

どれだけ長い時間、人の悲しみを自分の悲しみとして生きてきたんだろうか、

自分の苦しみから解放されたいだけに人生をかけてきて、

人生が暗いと思い込んでいただけじゃないか。


そして周りの人がときどき苦しくなったのは、私のせいもあったかもしれないと思うと、

この割れた窓ガラスはもう片づけようと思い始める。

誰かに苦しみの中にいるのを気づいてもらう必要もないし、

その苦しみから救い出してもらう必要もないし、

そんな過去のことで誰かを傷つけることは止めたいし、

誰かの苦しみのせいで自分を傷つける必要もないから。

そして躊躇したり、気だるく生きて受け取ることをしていないことで

自分でも気づかないうちに、人をもしかして傷つけたかもしれない。

特にそばにいてくれた人たちに、心から謝りたくなる。

私は子供だった、ごめんね。

 

きっと私はここを卒業できてきた。

許せなかった過去、人、そして自分を、解放して受け入れられる視点になった。


さっそく自分の足から破片を取り除いて、

私のそのままにしていた割れた窓ガラスを片付け終わったら、

自分のルーツも、認めてこなかった過去の幸せだった事実も、

ただ人の間違ってしまった行いに傷ついてただけだったことも、

思い込んでいた自分の制限から作り出した悲しみの幻想も、

ぜんぶ受け入れて認められてきた。


そして、こんなガラス破片に気をとられなくなったら、

私は本当はどうしたいんだろう?

どこに行って何を生きたいんだろう?

それがやっと考え始められる。

フリーでヘルシーで正直な自分から人生を考えられるタイミングにある。

 

もう自分勝手にならない人生を描けるフェーズに入れた気がする。

一つの詩でここまで自分を振り返ってみれるんだなあって不思議な気分になった。


でも誰でも持っているはずの傷。

人から受けたり、与えてたり、自分で傷ついたり。

それは誰かのせいで割れたガラスかもしれないし、

それを自分で片づける気にもなれず不満をもったままでいたり、

片づける方法も、破片を取り除く方法も分からないかもしれない。


私は分からなかった間にしてしまっていたことは、支配だった。

意志が明確なぶん、周りを支配してしまうことになっていた自分にも気づいたし、

周りを責めていたけれど許すことで自分も囚われなくなることも学んだし、

本当はその問題自体、自分が人生で望んでいることではなく、

それを越えた先にあることも気づいたし、

傷つけあっているようで、影響を与え合う性質は、繋がり合うことができるということでもあると知った。

傷つくのは、その奥に自分の純粋な望みがあるから。そういう場合でしか傷つくこともできないし。

それに気づけない間は苦しく感じるけれど、自分の心の声に従ってみんな生きているんだと分かった。


もし、こんな考えに浸ったときは、悔いすぎたり、心配しすぎなくていいと思う。

影響を与え合って、助け合って生きてきたってことだから。

でも止めたくなったらサラッとそこから抜け出して、

もっと自由でオープンな繋がり方をして生きることもできるよね。

本当はどう生きたいか考える視点に。

RESET

 

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久しぶりの更新。

 


この間に私に起きていたことは、個人的に重要な変容でした。

これまでの人生で目指してきた一番重要なこと。これまでの転生の切り替え時。

変えるに変えられなかった生き方のパターンのリセット。

これが大変ではなかったのはサポートがあったからだし、一人ではできなかったけれど、

今それが必要になった理由というのは、本来の自分らしく生きる邪魔をしていた”人生の設定”に引っかかったからでした。

 


リセットって簡単にできることじゃないですよね。リスクも覚悟も必要だし、人生のタイミングも周りの協力も得ないと乗り越えられません。

そして、リセット後の人生は想像がつかないから、白紙からのスタートです。

これが必要になるときって、白紙状態があらゆる策よりメリットであるときしかないですよね。そのタイミングが来ました。

 


大きな変動がなかったのは、仕事、人間関係、お金、健康の状態が、ほとんど停止状態にすでになってきていたので、

ところどころ変動はあって受け入れるのが辛いところはあったけれど、大きく何かを失うという感じではなかったと思います。

その分、上手くいかない状態に限界も感じて過ごしていました。

理由は分かっていてもイライラしたり、やるせない気持ちや焦りに負けそうになることも多々ありました。

 


私が物心ついたときから、どこかしっくりこなくて、何をしてみても”何か”から抜け出せてない感覚がありました。

でもその”何か”はここまで来るまで姿が見えるものではありませんでした。ただ望んでいたのはリセット。

とても長い長い道のりで、自分らしく生きられてない感覚のまま子供から大人になって、

何かを手にしてみても、それは「違う」、純粋に自分らしい何かではないと感じたまま積み上げていかなければならなかったし、

何か目標を立てなければいけないときも、それが今できる最善だけど「違う」と感じたまま目指さなければならなかったのは、辛いものでした。

何よりも一番先に得たい答えは遠くにあって、それが得られた状態でないと全てがウソに感じてしまっていたからです。

悩みすぎてしまうときは、呼吸しているのもウソに感じていました。これは生きたい人生じゃないと分かっても、できることが今はないという時間が長かったんですね。

 


でもここにきてリセットへ向かう段階へ進めたのは、私が人生で本当にしたいことが芽生えてきたからです。

もう限界で止まってしまっているけれど、その先に出て自分らしい人生を生きたい!

それはハリウッド映画の監督になることです。

身近な誰に言っても、初めから応援してくれる人はいません。大きな夢は反対する人が多いものです。本人の意志も知らずに見込みがないと断言する人もいます。

その追い風も辛かったですね。自分の夢に本気になるほど孤独になるような、周りを裏切っているような気分になりました。

でもそれは自分をただ信じきれなかっただけだったんですけどね。

 


私の感覚で、自分をリセットするとはどういうことかというと、

自分たらしめている(と思い込んでいた)価値観やこだわり、頼りにしていた愛着や、周りと共有してた自分のイメージや役割、

良い人でいるために守ってきた理想の態度や無理や我慢も、受け止めきれないことを感じないようにしてきたフタも、

気に入ってる気に入ってない関係なく、その手を放してしまうこと。

そうなると、これまでの自分が保てなくなるだろうと分かるくらいに、自分のコアだったものたちです。

 

知らない自分になってしまうのが怖かったし、自分の価値と思ってた精神的なものを手放すのは不安でしかありません。

何も無くなるんじゃないかという恐怖もありながら覚悟した気がします。

でも元からあったその”設定”を無くさなくてはならなかったので、それに基づいて培ってきたものは当然、手放すことになってしまうんです。

いくら若くても、それなりに手にいていたものや頼りにしていた関係性や価値観は大きなものでした。

 

そういう時期を越えて、今の私はリセットされました。

 
リセットって言っても、都合よく何も無くなるということではないんですね。

抜け出せない”何か”から出られた分、

見えてなかった事実、囚われてた自分がこれまでどう生きてきたのか、より明瞭に分かるようになったし、

それはいかにウソだったか、どんな設定内容だったかを知るという、だいぶショッキングな経験でもありました。

でもこれが事実だったんです。幻想の中にいれば自覚できなかったけれど、無かったわけじゃない。

真実が一番ラクで人を自由にします。

 


でもこれを迎えたら、今度こそ本当に自分らしい生きたい人生を設定できます。

もちろんすぐに切り替えて走り出せるわけではないけれど、矛盾をなくせた満足と、抜け出せて自由になれた安心を手にできました。

やっと終われた安堵が、これまで自分が一番に望んでいたことだったと改めて感じさせました。ごまかしきれないものの清算が終わりました。


このリセットをムダにせず活かすには、

これを踏まえて、自分がどう生きたいのか本質から意図設定していく必要があります。

今までのパターンからではない、屈折した自分からでもなく、全てが自由で発展していく喜びから。

今はそれを育んでいる段階です。

操作しないので、自分でも何が沸いてくるかは未知なんですけど委ねてみるしかありません。

それでももう気持ちは満たされてます。自分らしい生き方を始められる状態になったから。


漠然とした夢は今も持っています。書きかけの脚本と、一歩先の目標も。

でも今はそれだけ。

でも自分が持っている深いところからの霊性をフルに発揮して、世界に最大の貢献をしていく意図をしたいと思ってます。

 

ブログも自分らしく書けない感じがしていたんですけど、もう少し更新していきます。

 

 

WHO AM I = 価値

ある日Amazonの商品が届いたとき、

いつもの配送会社ではなくて、初めての人が届けてくれた。

だから私が想像していた人とは、明らかに違う雰囲気で驚いた。


あとで分かったことだけど、いつも来る人たちは、自分の価値をアピールしてる感じで、

その日に来た人は、自分で自分の価値を認めて満たされている人だった。

そういう印象だった。

 

価値ってそもそも何なんだろう?

 

私が分かっているのは、周囲と比較したものではないもの。

希少性でも、特別な条件を持ってるとかでもない。

誰でも、何をしていてもしていなくても、揺るがないであるはずのもの。

自分が何者かということだけで存在するもの。

 

でも私は本当の意味で分かっていないかもしれない。

自分のどこに価値があるのか探しているから。

探しているうちは”自分には価値がない”という考えのところにいるはず。でしょ?

 

いつも来ている人たちはというと、

提供するサービスのクオリティーとか、人当たりや印象の良さ、

人によっては、自身の顔とか、男性としてどのくらい魅力があるかをアピールしていたりする。

自信あると言われる人の中には、ほら自分には価値があるでしょ?ってアピールする人もいるから。


それは、カスタマーである私が判断することっていう前提がある感じだった。
それ以外のことだと、困ったりもするし不快になったりも...


自分にも思い当たる節があるのは、

焦っているときとか、プレッシャーを感じているとき。あと、自分のしたいことが分からないときも。

そういうときって、自分以外の基準に合わせようと必死になるし不安。

気持ちは、余裕がなくて満たされていない感じがしてる。

そして自分を消耗する感じで生きてるし、誰かや何かや過去のせいに感じてるし、

頑張っても欠乏感がなくならなかったり、ずっと余裕が得られなかったりする。


でも誰にもあることだと思う。これって波のようにやってきません?

 

 

その”自分の価値を自分で認めて満たされている”配達員さんに会ったときに感じたのは、

自分を責めていないってこと。

あとは、何のアピールもしていないこと!


正直これにびっくりしたの。こんな人もいるんだ!ってことが新鮮だった。

価値って、アピールして相手に認めてもらうことで得られるって方程式だと思ってたから。

どうやら、その方程式は違うらしいってことがはっきりした。

 

その人は、マスク越しでも顔立ちがステキで雰囲気もいい方だったけど、

外見で満たされてるわけでもなく、むしろ自覚されてないような感じ。

サービスがカスタマーに受け入れられるか心配してもなかったし、

仕事へのプライドも、良い意味でも悪い意味でも強いこだわりがなくて、

しっかりと荷物を届けることだけに焦点が合ってる人だった。

商品を手に取ったときに嬉しくなったのも、しっかり届けてくれたと感じられたからだと思う。

 

そして私の気分も良くなった。自分らしくいていいって感じられたからだと思う。

何も押し付けられてる感じがしなかったし、攻撃されてる感じも、駆け引きする感じもなかった。

自分がフラットでいられた。

人と会ってるのに自分がフラットでいる!という発見にもなったしね。初めてだった。

つまり相手によって自分の態度を変えていた。
でも変えちゃうよね。そして人のせいにしちゃうという堂々巡りしちゃうよね。

 

 

一方は、自分の価値を外側に求めていて、”そのままの自分には価値がない”って前提なんだよね。


一方は、価値が条件に帰属してなくて、”価値は存在してること”って前提なの。

 

だから、比較も欠乏感も手放して満たされてるから、繋がりや貢献することにクリアなんだよね。

 


そういう人と接すると、こんなに心地よくて受け取るのが嬉しくなるなら、私もそう生きたいと思った。

フラットでいることは、気分だけじゃなくて、貢献できる質や量もまったく違ってくる。

不安で目の前を曇らせていない分、自分ができることを最大限に発揮できるからなのかも。

 

自分で自分の価値を認めることが、どうすることなのかがはっきり分かったわけじゃないけれど、
たぶん思った以上に、何かをすることではないはずだし、

誰かに証明しなくちゃとか、自分を何かの条件に合わせるために変えなきゃってことではないと分かった。

長い間、ずっと疑問に思っていたことがスッキリ。

納得しないままベクトルが変えられなかったけど、クリアな方向に変えられそう。


自分の価値は、”自分が何者であるか”ではっきりするんじゃないかな?

条件でも過去でもない、

 

WHO AM I

 

きっとこれだけ。シンプルだからこそ難しいのかも。

 

 

もし、もっと曖昧になったと感じた人は、きっと探していたところは違うんだと分かったということだと思う。

抵抗がある人は、自分の価値を認めたい想いが、人一倍強いってことだと思うし。

それでも自分に価値がないと思える人は、これまで価値を誰かに認めてほしかったのだと思う。

 

たとえどう感じたとしても、今のその自分を大切にしてください。

たとえ感じられなくても、価値がある存在であることは変わりないんだから。


こういう気づきを与えてくれた配達員さん ありがとう。

またスタート

https://www.instagram.com/p/BeGdG0HhjGp/

Restart
久しぶりの更新。

 

私自身、ブログを書く意味がわかっていなかった。

難しく考えすぎてしまったり、結局のところ思うように書けてはいなかった。


でも伝えたいことは確かにあると感じていて、それが整理されるのを日々の成長の中で明らかにできてきたんだと思う。


・自分が読みたい記事、

・自分の体験に基づいたインスピレーションをそのまま伝えること、

・そのインスピレーションは希望や勇気のシェアになること、

自分の中で矛盾がなくなり具体的になった。


・自分が何を目指して生きているのか、

・どうすることが未来をクリエイトしていく生き方なのか、

・プロセスを乗り越える経験とコツは何なのか、

・プロセスの中で必要なことは何なのか、

こういったことが明確になって、習得できたから。


カテゴリも作り直して、どのプロセスにいて何を必要としているかで記事を選べるようにしてみたり、

他のカテゴリを見ることで、別の視点や可能性を見つけやすくする工夫もしてみた。

 


私の身近な人たちを見ても思うことだけれど、

人は過去の結果や現在の環境から、自分の可能性や評価を決めてしまっている。そしてそれ以上やそれ以外はないと思い込んでしまっている。

けれど、誰にだってそれ以外の可能性や、それ以上の希望やチャンスはあるものだし、それを求めている人も多い。

だから、誰にでも響くインスピレーションをシェアすることはできると確信した。


そして、日常のその枠から出て、自分の可能性について考える機会にできるようなシェアをすることが、

私のしたいことでもあり一番貢献できることでもある。


このブログという場で、私は自分の未来をクリエイトしていけばいいのだとも思った。


包み隠さず書くと、鋭すぎる表現となってしまうかもしれない。

それを初めのうちは怖がっていたけれど、その事実を通らないと本当に乗り越えることにはならないから、やっぱり自分の言葉で書いていこうと思う。

好かれるブログではなくて、有益なブログに。

 

わずかでも誰かのきっかけになりますように。

Moon river

When I want to sing Moon river. Lyrics I sing is wrong but I like it. Because I learned lyrics as little girl when I could have the most beautiful dream.

 

映画ティファニーで朝食を

私はムーンリバーが歌いたくなる時がある。

でも歌詞が少し間違ってるの。

でもずっとそのまま歌うのが好きで、かまわずに歌う。

私がまだ小さかった時、初めて自分で選んで見た洋画がこの映画だったし、

その主人公のホリーの自由でありたい気持ちと、

でもいつも付きまとう寂しさとかが自分と重なる気がしたから、

その束の間の平安を愛でるように歌ってるこの歌が好き。

そしてきっと今よりずっと純粋に美しい夢を見られていた子どもの頃に覚えたまま歌うのも好きだから、直さないでそのままの美しい夢を見てみる。

 

ムーンリバーを歌うと、私のハックルベリーの友達に会える気がするから。

そしていつか辿り着ける虹の端を忘れないように。